2004年4月24日

陣痛室に移動

 少しすると、さきほど出て行った看護婦さんが戻ってきて、「診察するから2階に降りるわね。…歩くのは無理よね?」といって車椅子をもってきてくれた。
車椅子に座ろうとしたところに痛みの波がやってきて、中腰のまま動けなくなった。車椅子につかまって痛みが去るのを待つ。
「痛みが去ってからでいいわよ」と看護婦さんたちも待ってくれた。
痛みが去ったので車椅子に乗ろうとするがなかなかうまく乗れない。やっと腰掛けると、看護婦さんが押して廊下を移動。その時は私は3階にいたのでエレベータ-で2階に降りた。
そのまま陣痛室に運ばれる。着くと陣痛室のベッドに横になるように言われた。
 そのうち先生がやってきた。そして陣痛室のベッドの上で「ちょっとごめんなさい」と言って先生の内診。臨月の妊婦ならおそらく誰でも味わうあの、子宮口のあたりをぐりぐり~!とやられる痛い内診(>_<)が、そのときの私にはそれより痛みの波の方が気になっていた。内診をした先生は「ああ、子宮口3センチ開いてますね。」とのこと。そして「確かに陣痛もついてきてるんだね」と独り言のように言ってその場を去った。私は「まだ3センチなの?」と驚いた。今でも相当痛いのに…。やはり陣痛の痛みって尋常じゃないんだ…などと思った。その時はまだ、自然分娩するものだと信じて疑わなかった。
 
 次にNSTをつけた。陣痛室のベッドは自動でリクライニングするようになっており少しだけ状態が起き上がる状態にしてくれれた。今度はNSTの音も少しは聞こえる。聞いていると、私が痛みに息を止めそうになると明らかに赤ちゃんの心拍が下がるのが分かった。これじゃぁ部屋でNSTをつけたときに看護婦さんが途中で飛んできたのも分かる。怖くなって私は必死で深呼吸をする。するとまた赤ちゃんの規則正しい心拍が聞こえるようになる…。
 そんな中、お腹の子はしゃっくりをはじめた。よくしゃっくりをする子だなーと思っていたけれど、こんな時までしてるとは…。 かといえば寝てみたり。看護婦さんに「こんな時にも寝ちゃってるよ。大物だね」みたいなことも言われたり。そんな我が子の様子に少しだけ心が和らぐ。

 やがて、また先生が現れた。
痛みと痛みのたびにある膣からの出血に耐える私に先生は衝撃的なひとことを言った。
「あのね、○○さん、やっぱりここまで出血量が多いのは胎盤早期剥離なんで、このまま子宮口開くまでまってたらお母さんも赤ちゃんももたないんで帝王切開にするから。」
「は、はいっ、分かりました」
そういうしかなかったが、内心ショックでしょうがなかった。でもこのままじゃダメならしょうがない。赤ちゃんが無事に生まれてくれるためなら仕方ない。と自分を慰めた。
 出血がだらだらと続いていて先生からは胎盤早期剥離の可能性も早くから指摘されてはいたけれど、それならこんなに長い間平気なわけがない、と思っていた。さらに、先日の母親学級で、胎盤早期剥離になった人の話も聞いていたのだけれど、自分のこととして考えられていなかった。だから先生のこの言葉を聞いた時は「まさか自分が……」と、信じられない気分だった。母親学級の話ではそのお子さんは助からなかったと聞いていたので、不安はあった。けれど、『大丈夫、今までだっていろんなことを乗り越えてきた子だ。この子は生きて生まれるために私のお腹に来た子なんだ』と、必死で言い聞かせていた。
 不思議と手術への恐怖はほんの少ししかなかった。帝王切開について知識は”あまりなかったのでどんなリスクがあるかなんて知らなかったせいもあったかもしれない。

 それからはあわただしく帝王切開の準備が行われた。
 
 まず身包みはがされ(笑)、剃毛。看護婦さんがやってくれる。帝王切開なので下腹部と会陰のあたりまで。剃るといってもつるつるにするわけではなく(笑)軽く剃る感じ。今考えれば恥ずかしいことこの上ないが、その時はそんなことほとんど気にしてなかった。それよりも定期的にやってくる痛みの方が大問題だった。
 そして点滴。
 <その時の会話>
 先生:(看護婦さんに向かって)「ウテメリン点滴して」(おそらく私の子宮収縮を抑えるため)
 看護婦さん:(ちょっと声のトーンを下げて)「え?そんなことして筋弛緩とかになったら……」
 先生:「大丈夫大丈夫、もしそうなってもすぐに対処できるから」

 これを聞いて私が不安になったことはいうまでもない(-_-;)
 えぇぇぇ!?ちょ、ちょっとそんな。先生……(汗)
 しかし私は何も言えずにされるがままになるしかなかった…。

 それまでの入院生活で左手に点滴の管は刺されていたが、そちらはすでに何か(←私もいまだに良く分かっていない。汗)を点滴していたので右手に点滴の管を刺す事になった。そのときに看護婦さんも慌てていたのか、血管を浮き出させるために上腕をゴムで締めていたのに、刺した後もゴムを外すのを忘れていた。「おかしいなー」と思っていたら、通りがかった先生に指摘されて慌てて外していた。「おいおいしっかりしてくれい」と心の中でツッコんだ。


 しばらくするとウテメリンが効いてきたのか、痛みが少しマシになった。(それでもまだ痛みはあった)先生がやってきて「どうですか?痛みはなくなってきましたか?」と聞いてきた。「はい、さっきよりずいぶん…」と答えた(気がする)。続いて「連絡するの実家にでいいですか?」と先生。「あ、ハイ。」そう答えると先生は去っていったが、その直後にはっとした。そういえばダンナが昨日、”産まれる時には必ず連絡取れるように病院に言っておいて”と言ってたことを思い出した。どうしよう?とあせっていたらちょうどいいところに看護婦さんが来たので自宅にも連絡してほしいと頼んでおいた。(あんな緊迫した状況でさえ意外と頭は冷静に動くものだなぁ…。)
 そして手術の同意書に震える手でサイン。サインする前には先生が手術の大まかな説明をしてくれた。麻酔は腰椎麻酔なこと。切り方は横切りなこと。そして手術後の生活(食事はどうなるかとか、シャワーは何日目からだとか)。


 そして、ついに手術室(分娩室)に向かう時がやってきた。
 分娩室は陣痛室の隣り。少し歩けばすぐ。けれどその時の私は、一時よりは和らいだとはいえまだあった痛みで歩けないので、やはり車椅子で移動した。その時に、車椅子に乗った私は当然すっぽんぽん(苦笑)で、その上にタオルケットをかけられただけの姿だった。看護婦さんが「こんなかっこで移動させちゃってごめんね」と言ったので「大丈夫です。もうこの期に及んで格好はなんでもいいです」と答えた私。

本当にそんな気分だった。

 とにかくこの状態から脱したい。
 無事に赤ちゃんを産めるなら何でもいい。

そう思った。