2004年5月 3日

退院日:帝王切開術後9日目

とうとう退院日。
まだ傷が完全に癒えてなく、しかも育児にも不安だらけ。長かった入院生活もこれで終わりだと思うとすがすがしくもあり、寂しくもあり。
 朝7時の授乳では看護婦さんに哺乳瓶は『ピジョンから出ている母乳育児用』の哺乳瓶がいいと勧められました。
 10時の授乳を終えると、1階に下りて診察(内診&傷の様子を見る)。祝日で病院が休みのため、必要な場所しか明かりがついてなくてなんか変な感じでした。診察で問題なしということで、先生から退院後の生活についての話を聞きました。何か気になることはありますか?と言われ、「傷がまだかなり痛いんですけど…」というと「まぁ、仕方がないですね。まだ切って1週間ちょっとですからねぇ」と先生。…確かに(^_^;)
あとは紙を渡されて、お風呂についてはどうするとか、紙に印刷されてることをなぞるように説明され、1週間後に赤ちゃんの方の1週間検診に来てくださいと日にちを伝えられる。(最初次に来るのは1ヶ月検診だと思っていたので1週間後に来てくださいといわれたときは???となってしまった)その他避妊のお話もありました。他には「赤ちゃんを抱き癖がつくほど抱っこしてあげて欲しい」ということも言われる。

 昼食を食べて、午後1時から授乳室にて授乳。

 部屋に戻ってくるとすでに母が一時間も早く着いていた(^_^;)荷物を最終的にまとめながらダンナがくるのを待ちました。
 しばらくしてダンナ到着。
 用意ができたらナースコールをすることになっていたのでナースコール。(ナースステーションは目の前なので直接言えばよかったけど)すると荷物を持って1階に下りるように言われる。

 1階におりると、待合室は電気がついてなく、受付のカーテンも閉まっていた。とりあえず椅子に座って待っていると、看護婦さんがむにをつれてきてくれた。
 むには持っていった白い服(セレモニードレスっぽいやつ)に着替えさせてもらっていた。病院のものばかりしか見ていなかったので新鮮。でも、まだぶかぶかで、服に着られているようだった(笑)
 「今先生来ますから」
 と看護婦さん。そして記念品のようなものを袋で渡されました。(後で見たら、足型のついた出産証明書とアルバムだった。病院の名前入り。しかも中に先生や病院内の写真まで入ってる。笑)
 そのまましばらく待つと、真っ暗だった診察室に電気がつき、先生がやってきた。
 「家族の方も一緒に中へどうぞ」
 とのこと。
 私はダンナと一緒に診察室に向かった。(母は遠慮して中には入ってこなかった)
 診察室(いつも先生と話す場所)に入ると先生がいた。(たくさんお産があって寝不足だったのか、その日の先生の目は真っ赤だった。^_^;)
 まずは「おめでとうございます」と言われ、夫婦ともにお礼をいった。そして今回のお産について、危機一髪だったこと、その原因は分からないとのこと。それから先生はダンナに向かっても一定期間次の妊娠まであけて欲しいとのことを言ってました。そして帝王切開後一応1ヶ月、3ヶ月とできれば検診に来て欲しいということ。「でも1ヶ月目に何もなくて3ヶ月目に何か問題が出てくるなんてこともまずないんですけどね」と先生。
 話が一通り終わると、先生は「写真撮りますので」と言って、ポラロイドカメラで私とダンナ、むにとの3人一緒の写真を撮って渡してくれました。
 私たちは丁寧に再びお礼の言葉を先生に言い、診察室を後に。しかし、お礼の品を渡すのを忘れたことに気づいた私たちは急いでお礼の品を持って再び診察室へ。そしてそれを先生に無事渡し、今度こそ診察室を出る。
 出ると看護婦さんが受付のカーテンを開けてくれて(受付の人がいないので)、入院・出産費、電話代の清算。
 「何か困ったことがあったらいつでも相談してくださいね。○○さんのこと覚えてますから(^-^)」
と看護婦さん(この時の看護婦さんは主任の方でした。入院中もすごく頼りになる人でした)。本当に嬉しかったです。
 風の強い日だったので、むにをアフガンでくるんで抱っこしながら、何度も看護婦さんにぺこぺこと頭を下げながら病院を出ました。

 駐車場につき、チャイルドシートにむにをセット(笑)するのにダンナはしばらく四苦八苦していた。帰りの車、むによりも私がつらかったです。なぜかって…まだ帝王切開の傷が痛くて、ちょっとブレーキを踏むだけでも揺れが傷にひびいて痛かったから(泣)

……とにもかくにもやっと夕方に退院。
約1ヶ月の入院生活。長かった……。 
これから、むにとの生活が始まる。(しばらくは実家だから手伝ってもらえるけど)どんな生活になるのかな…。